アンデンマッテン兄弟(GEBR. ANDENMATTEN)
  初代(the 1st.);Florinus Andenmatten(1892-1983)
            Severin Andenmatten(1897-1965)
  2代(the 2nd.);Ernest Andenmatten(1925-2000)

 アンデンマッテン兄弟のピッケルはヴァリス州の小さな村、サース・アルマーゲル(Saas-Almagel)で作られた。サース・アルマーゲルはスイスでも有数のリゾート地、サース・フェー(Saas-Fee)の南側に位置する標高1600mの小さな村である。西側には標高4545mのドーム(Dom)を盟主とするミシャベル(Mischabel)連峰が聳えている。このあたりはSaas Tal(サース谷)と呼ばれている一帯で、サース何とかという地名が何個所かある。

 ピッケル鍛冶としての初代はフローリヌス(Florinus)とゼベリーン(Severin)の兄弟で、1918年からピッケルを作り始めた。初めの頃の銘は全て大文字で上段にGEB.ANDENMATTEN、中段にSCHWEIZ(スイス)、そして下段にはSAAS-ALMAGELと打ってあった。GEB.はGebrüderの略で、兄弟を意味する。銘はその後1930年頃に作り直され、文字は小文字も使った書き方になり、上段のGEB.がGebr.とrまで綴るようになった。
 ピッケルによってはこの他にヘッド背面にミシャベル連峰のシルエットを模した刻印が打たれている物もある。シルエットの下にはMARKE MISCHABEL(ミシャベル印)と打ってある。
 アンデンマッテンはFritchなどのスポーツ店に、今で言うOEM供給していたらしく、自らの銘以外に多くの作を残している。
 兄のフローリヌスは1940年頃、約70km離れたシエール/ジーデルス(Sierre/Siders)に移り住んでしまった(F.Andenmattenの項参照)が銘はGebr.をそのまま使い続けた。

 2代目エルネスト(Ernest)はゼベリーンの子である。2代目も兄弟で鍛冶屋を営んでいたので銘はGebr.Andenmattenをそのまま使ったようだ。ただしピッケル作りは二人兄弟の内のエルネストだけが行っていた。そのエルネストは2000年に他界している。
 彼がいつ頃までピッケル作りを行っていたかは正確には不明であるが、1971年5月号の山岳雑誌「山と渓谷」に出ているIスポーツ店の広告にはアルマーゲルという呼び名が載っている。しかし当時販売されていたピッケルを特集した1973年12月の同誌(参考文献6-2)には何の掲載もなく、さらに1975年5月に同誌の付録として発行された「世界の登山用具、上」(参考文献6-3)にも掲載がない。したがって1970年代前半にピッケル作りをやめてしまったのではないかと考えられる。
 2代目兄弟にはどちらも後継者がなく、現在は鍛冶屋は廃業となってしまった。

 松方三郎著の「アルプスと人」(1948年刊、参考文献2-2)には「アルマーゲル産のピッケル」という記述があり、また西岡一雄著の「登山の小史と用具の変遷」(1958年刊、参考文献1-1)には「ザース村のアルマーゲル作」と誤って紹介されている。このような経緯でこのピッケルは日本では作者名のアンデンマッテンで呼ばれるよりもむしろアルマーゲルと呼ばれていたものと考えられる。

 なおSaasはドイツ語読みではザースであるが当地では濁らずにサースと言っている。また蛇足ながらサース・アルマーゲルはアルペン・スキーのかつての名選手ピルミン・ツルブリッケン(Pirmin Zurbriggen、1963年生まれ、1990年引退)を輩出したことを誇りにしている。
 
  Severin Andenmatten


  Ernest Andenmatten



赤く示した所がサース・アルマーゲル「地球の歩き方・スイス(参考文献9-4)より」


  サース・アルマーゲルとサース・グルントの中間から見たミシャベル連峰


  サース・アルマーゲルの家並み


  旧アンデンマッテン宅(1階が鍛冶工場だったが改築されている)



初代作(1)
 全体的に直線的であり、また銘から判断して1920年代に作られた初代初期の物と思われる。ヘッド長30.5p、全長89p、重量1060g。銘はピックが右を向く面に打たれている。またヘッド反対側に打たれているMARKE MISCHABEL印は初期の物と思われる刻印が打たれている。















初代作(2)
 初代作、大振りの力強い逸品。ヘッド長33.0p、全長89p、重量1120g。1930年頃作られた物と思われる。寸胴のハーネスが極めて古典的。初代作(1)に比べてヘッド全体が曲線的になっている。












ヘッド長の違い(右は30.0pのウィリッシュ)。
シャフトの太さもかなり違う。



初代作(3)
 ヘッド長28.5p。1930年代製作の穏やかなラインの一品。












戦後型(1)
 1950年代の作だと思われるが初代作なのか2代目作なのかは不明。ヘッド長28.8p、全長80p、重量740g。直線的なピックと小振りのブレードは戦後型の特徴。銘の左に打たれているMont Silvioはこのピッケルを注文した人の姓名のようだ(Montが姓でSilvioが名)。またピック背面にはMARKE MISCHABELの刻印が打たれている。













戦後型(2)
 ヘッド全体の肉厚が薄く、ピック先端は上下からアッシェンブレンナー風の面取りがされている。ブレードもカップ型になっている。フリッチ(5)と同様なデザインであり、製作年代は1960年代と思われる。ヘッド長26.8p、全長74.5pの小振りな出来上がりとなっている。
 特筆すべきはシャフトの下から1/4あたりがコブ状に盛り上がっている点である。これはピック(またはブレード)を振り下ろす時に握り安くするための工夫であると思われる。作者か注文者(R.B.なる人物)どちらの発案かは分からないが珍しい造りである。















CCB
 これはピック表面にCCBの刻印が打たれているのでCCB FRERES SPORTSが販売していたピッケルであるが、背面にはMARKE MISCHABELが打たれているのでアンデンマッテンが供給していた物と考えられる。製造された時期は第2次世界大戦後の1945年代後半から1950年代であろう。ヘッド長は30.2p、全体に柔らかい印象を与える造形である。石突きは小さめにできている。













戦後型(3)
 これは戦後のベントやウィリッシュに良く似た形状をしている。製作年代は1960年代から70年代と思われる。ヘッド長29.5p、全長71.5p。シャフトは細くできている。