ベント(BHEND)

 初代(the 1st.); Karl Bhend(1836-1908)
 2代目(the 2nd.); Alfred Bhend(1881-1967)
 3代目(the 3rd.); Alfred Bhend(1911-1994)
 4代目(the 4th); Ruedi Bhend(1946-)


 ベントはアイガーやユングフラウで有名なスイスのベルナーオーバーラント地方グリンデルワルトのピッケル鍛冶である。

 初代ベントはカール・ベント(Karl Bhend)である。彼は1870年頃グリンデルワルトで鍛冶屋を開業し、当初は蹄鉄や車輪などを作っていた。時折しも「アルプス黄金時代」(1854年のA.ウィルスらによるヴェッターホルン初登頂から1865年のE.ウインパーらによるマッターホルン初登頂までを言う)が終わって次の銀の時代に入った頃であった。カール・ベントは、アルプスを目指してイギリスからやって来る登山者や地元ガイドの求めに応じてピッケル作りを始めた。

 2代目ベントはアルフレット・ベント(Alfred Bhend)である。2代目作のピッケルの特徴はピックからブレードに掛けての流れるような美しい曲線にある。浦松佐美太郎著「たった一人の山」(参考文献2-1)には英国留学していた浦松が1927(昭和2)年頃、13インチ(33cm)の大振りのピッケルをベントに鍛えさせたとある。このピッケルは長野県大町市にある大町山岳博物館に展示されている。

 3代目ベントも初代と同じ名前(アルフレット)であった。戦前戦後を通じて2代目と3代目ベントは一緒にピッケル作りを行ったが銘を区別して打つようなことはしなかったようだ。そして銘がALF.BHENDから単にBHENDだけになったのが1955(昭和30)年頃らしい。シニア・ベント74才、ジュニア・ベント44才の頃であるからその時点を代変わりと考えて良いだろう。
 3代目ベントは2代目後期の作風を引き継いだピッケルを作り続けた。確立したスタイルを頑なに守り、最後まで穴あきピッケルを作らなかった。ただし時代と共にヘッド長は次第に短くなっていった。
 新田次郎の紀行文「アルプスの谷 アルプスの村」(参考文献2-3)の中に新田と佐貫亦男が3代目ベントにピッケルを注文しに行く場面があり、3代目ベントの人柄が良く描写されている。ピッケル1本の値段は1961(昭和36)年当時約5,000円であったとある。

 現在は4代目のルウディ・ベント(Ruedi Bhend)が跡を継いでいる。工場は今もグリンデルワルトのメインストリート沿いにあり、鉄工業を営んでいる。ただし3代目の頃から既にそうであったように主たる仕事は建築用鉄骨加工業であり、ピッケルは雪に閉ざされて本業が暇になる冬の間だけ注文に応じて作っている。またヘッド形状や銘は3代目後期型とまったく同じである。価格は1本あたり400スイス・フランである。


[注記]日本にベントのピッケルが入って来た経緯からこれまでアルフレット・ベント(シニア)が初代ベントと言われて来たが4代目ベントが開設したサイト(http://www.eispickel.ch/geschichte.php)の記載によってカール・ベントが初代であることが分かった。


ベントの旧工場(雑誌「山と渓谷」より) 旧工場内部の様子(出典;同左)
浦松佐美太郎もここで2代目ベントにピッケル製作依頼をしたのであろう



1階が工場、2〜3階が住居になっている 看板は鍛冶、錠前、ピッケル、アイゼン
を表示している


出来上がったピッケル

3代目ベント ヘッド部の研磨作業

晩年の3代目ベント (1987年2月、撮影)
[兵庫県川西市・仲田淳氏提供]
製作途中のヘッド群 (同左)

4代目ベント(2005年4月、撮影) 改装された現在の工場(同左)

今でも看板にはピッケル鍛冶を標榜している ベントの火床(ホド)



初代作 [愛知県常滑市、渡辺秀樹氏所蔵]
 極めて稀少な初代ベントの手による物である。ヘッド長は20.0cmと短く、シャフトも細めであることからピッケルと言うよりもアルペン・ストックと呼んだ方が適切であろう。全長は94cmであるが石突き部分が切り落とされているのでそれがあれば100cm程度の長さであったと思われる。ヘッドは頭抜き構造になっていて蓋は上部からマイナスネジで固定されている。フィンガーは190mmと長く、4個所からマイナスネジで固定されている。










2代目作、戦前型(1)
 1920年代に作られた物と思われる。ヘッド長28.7cm、全長89cm。ブレードは扇形で両刃。ヘッド頂部が太く、写真では分かりにくいが頭抜き構造になっている。フィンガは185mmと長い。













2代目作、戦前型(2)
 ヘッドのカーブが美しい2代目作の物。1930年代の作であろう。ヘッド長28.7cm、全長78cm、重量940gである。ヘッド頂部は頭抜き構造になっている。













2代目作、戦前型(3) [東京都在住、N氏所蔵]
 1940年代に作られた物だと思われる。ヘッド長29.0cm、全長81cm。ブレードはイチョウ形でフラット。ヘッドのトップは頭抜き構造になっている。ピック背面には金の象嵌細工で注文主の名前が埋め込まれている。














2代目作、戦前型(4) [神奈川県大磯町、佐々木直氏所蔵]
 これも1940年代に作られたと思われる物でヘッド長28.5cm、全長83cm。ブレードはイチョウ形で少し湾曲している。これも頭抜き構造になっている。ピック背面にはこれにも象嵌細工が施されている。















2代目作、戦後型(1)
 2代目ベントの戦後の作である。1950年頃製作の物と思われる。ヘッド長31.0cmの大振りで、ヘッド上辺のカーブは戦前の物を踏襲している。
 ブレードは大きく開いた扇形をしている。ただしブレードの先端はまだフラットであり、その後主流となる湾曲したカップ型にはなっていない。
 写真のピッケルは明らかにベントのピッケルではあるがピックの裏側にはフリッチの小型の銘が打たれている。またピック表側のベントの銘の右にはMADE IN SWITZERLANDと打たれ、スイス製であることを強調している。どうやらこのピッケルは、チューリッヒのスポーツ店であるフリッチがベントに作らせて海外に輸出した物ではないかと思う。













2代目作、戦後型(2)
 これも2代目の戦後作で1950年頃に作られた物と思われる。ヘッド長は26.5cmで極めて小振りで軽量のピッケルである。おそらく女性用に作られた物ではないかと思われる。上掲の2代目作、戦後型(1)と比較するとサイズの違いが良く分かる。
 なお、この頃のベントはなぜか石突きのシュピッツェを短めに作っていたようだ。








上は2代目作、戦後型(1)



3代目作、前期型
 3代目ベントの作になる物で1960年代に作られた物。ヘッド長28.5cm、全長83cm。初代ベントの戦後型を受け継ぎながらヘッド長は短くなっている。ブレードもカップ型に変化している。
 銘は初代と同じ楕円ではあるが二重ではなくなり、ALF.の文字がなくなった。銘の中央のSCHWEIZはスイスのドイツ語表記。







上は2代目作、戦後型(1)



3代目作、後期型
 1983年製作の物でヘッド長26.0cm、全長75cm。前期型に比べてヘッドはさらに小振りになった。ブレードの湾曲もいっそう深くなっている。ヘッド表面はヘアーラインの仕上げが極めて美しい。銘は前期型に対して刻まれている内容は同じであるが別の刻印を使っているようだ(SCHWEIZのSやGRINDELWALDのGの字などを比較すると分かる)。
 このピッケルはグリンデルワルトのベントの工場で夏に3代目ベントに直接注文してから日本に送られて来るまでに6ヶ月を要した。当時からピッケル作りは冬にだけ行っていたことが推察できる。








上が前期型、下が後期型


左から3代目後期型、3代目前期型、2代目戦後型