ビョルンスタット(TH. BJÖRNSTAD & Co.)

  ビョルンスタットはベルン(Bern)のスポーツ店で販売されていたピッケルである。ピッケルそのものを作った鍛冶職人の名前は正確には分かっていないが細部の仕上げなどを他の銘のピッケルと見比べるとアンデンマッテン兄弟作の可能性が極めて高い。特にブレード下側付け根辺りの形状がアンデンマッテン兄弟作に良く似ている。

 ビョルンスタット・ピッケルは日本へは三越が輸入した。輸入の開始は1931年(昭和6年)であった。しかし1940年(昭和15年)にはピッケル全体が輸入禁止となったので日本に入って来た数は極めて少ないと言える。
 優雅な曲線のピッケルが主流だった時期に極めて直線的なヘッドの形状は異様に見えたかも知れないが逆に好評だったらしい。三越が輸入元ということも話題を呼んだのかも知れない。

 ビョルンスタットというスポーツ店は現在は既になく、当時輸入していた三越に問い合わせても「資料が何もないので分からない」とのことであった。しかしようやくそれらしい人物の記録を見つけた。ビョルンスタットという姓はスイスでは極めて珍しい、とのことなので多分下記の人物がTh. Björnstadその人ではないかと思われる。

 トーライフ・ビョルンスタット(Thorleif Björnstad, 1885-1930)は、1885年にノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)で商人の子として生まれた。そこでスキーを学び、1904年の冬にスイスのベルンにスキー教師として招かれた。その後ベルンのトブラー・チョコレート社で働いた後、ドイツのミュンヘンにいた義理の兄弟が経営するスポーツ店で仕事をした。ベルンに戻ってからは市内のスポーツ店で働き、後に独立して自分の店を持った(ピッケルを販売していたのもこの店であったと思われる)。独立後はスイスのスポーツ小売店協会の会長にもなり、1928年にサン・モリッツで開催された冬季オリンピックではスキーコーチ及び役員として貢献した。1930年に45才で死去している(死因は不明。店はその後しばらくは続いたものと思われる)。









 左上;1905年、ビョルンスタット20才時
 右上及び左下;1927年、42才時



TH.BJÖRNSTAD&Co. BERN (1)
 ヘッド長30.5cm。銘の打ってある面がピックが右を向く面であり、他のスイス物に対して逆の面である。ほとんど直線に見えるヘッド上辺も定規を当てて見ると微妙なカーブを描いていることが分かる。
 雑誌「山と渓谷1973年12月号」(参考文献6-2)の「心に残る名刀たち」という大賀寿二の文章によると32cmの大振りの物と28cmの小振りの物があったと記してある。とすると下の写真の物を含めて3種類のヘッド長の物が品揃えされていたようだ。












TH.BJÖRNSTAD&Co. BERN (2) [埼玉県入間市、田村朋之氏所蔵]
 ヘッド長27.7cm、全長99cm、重量950gであり、上掲の30cmの物に比べてヘッド長の短いモデルである。ブレードはこれも琴柱型であるが、肩の張りが30cm物に比べてやや弱い。しかしその他の作りは30cm物と殆どそっくりであり、銘も同じ刻印が使われているのでどちらも同じ鍛冶屋の作と考えられる(ブレード下側付け根辺りの形状がアンデンマッテン兄弟作に良く似ている)。










upper;30cm, lower;28cm


upper;28cm, lower;30cm


upper;30cm, lower;28cm


upper;Gebr.Andenmatten, lower;Björnstad



Th.BJÖRNSTAD&Cie. -BERN-
 このピッケルは、ビョルンスタットのショートタイプであろうか。ヘッド長27.8cm。全長102cm。ヘッドは頭抜き、ブレードは三角形型、ハーネスは一枚物であり、上に示したビョルンスタットとは明らかに形が異なる。シャフトが長いことからこちらの方が古い時代の物(1920年代)と考えられる。残念ながらピック先端をヤスリで削った形跡があるのでこのピック形状がオリジナルなのかは不明である。
 銘の文字Cieはフランス語compagnie(英語ではcompany)の略である。シャフトにはBACHOFENという焼き印が押してある。











銘の相違