シャルレ(CHARLET) |
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初代(the 1st.);ジョゼフ・シャルレ(Joseph Charlet) 2代(the 2nd.);ジェルマン・シャルレ(Germain Charlet)及びジェラール・モゼール(Gerard Moser) シャルレはシモンと同様にフランスのシャモニ(Chamonix)のピッケル鍛冶であった。初代はジョゼフ・シャルレ(Joseph Charlet、生没年は不明)で、1880年創業であるらしい。 2代目はジョゼフの甥のジェルマン・シャルレ(Germain Charlet)が継いだ。ジェルマンは木工職人のジェラール・モゼール(Gerard Moser)と共同でピッケルを製造したので彼らの作になる製品にはシャルレ・モゼール(Charlet-Moser)と打たれている。 シャルレは、元々シモンの工場にいた職人がシモンから独立した、という情報もあるがそれがいつ頃のことであったのかまた誰のことであったのか分からない。初代がそうであったのかも知れないし、2代目のジェルマンがシモンの元で修行をしていたのかも知れない。あるいはモゼールがシモンからシャルレに移った可能性もある。 第2次世界大戦前の日本にはスイスの著名なピッケルと共にシモンも輸入されていたがシャルレはその頃は日本には輸入されておらず、戦後になってから入ってきたと思われる。戦後のシャルレは、ピック肉厚が薄く、軽量で合理的な製品を作った。またシュピッツェを従来の角形から丸形にしたり、世界で初めてカラビナを通す穴をヘッドに開けるなど斬新なアイデアを盛り込み、戦後ピッケルの主流がスイスからフランスに移ったことに関する影響は大である。シモンと同様に銘のある位置がスイス物とは反対側(ピックを右にした時に上になる面)である。 シャルレは1980年代にシャルレ、モゼール共に高齢のため引退した。会社はグルノーブルの農機具会社が買収し、その会社の工場でピッケルやアイゼンの生産が引き続き行われた。現在は同じフランスのスポーツ用品メーカのペツル(PETZL)の傘下に入っている。 |
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左に示したのは雑誌「山と渓谷」1964(昭和39)年3月号に掲載されていた商品広告である。ここにはモンブラン、スーパーコンタ、スペシャル及びノーマル(ノーヌルは誤植であろう)という4つのモデルが紹介されている。 また下に示したのは1960(昭和35)年発行の碓井徳蔵著「登山用具入門」(参考文献1-2)の一部である。ここにもシャルレのいくつかのモデル名が記載されている。 |
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初代作 (J.CHARLET A CHAMONIX)
極めて古い形状のピッケルであり、1920年以前の物のように見える。ヘッド長26.0p、全長104p、重量1080gであり、シャフトは経年変化でピック側に曲がってしまっている。そのシャフトの断面は円形に近い。石突きのハーネスは板材を円筒状に曲げて銅でろう付けしてある。銘中段の文字Aは、英語のatと同義なので「シャモニのJ.シャルレ」という意味になる。
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CHARLET CHAMONIX No.1
このピッケルは、第2次世界大戦後すぐの1940年代後半から50年代に作られた物であろうと思われる。シモンのモデルGHMと同様に海外遠征を意識した製品であったと考えられる。
No.1であるのでヘッド長31.2pと大振りである。またピック下には6段の浅い刻みが入っている。ブレードは短めにできており、その形状はワイングラス型とでも云うべき特徴ある形になっている。石突きの形状もその後のシャルレのそれとは明らかに異なる形状をしている。 このピッケルの銘にはモゼール(Moser)の名がなく、2代目シャルレがモゼールと共同で製作する以前の作であった可能性がある。 1960(昭和35)年発行の碓井徳蔵著「登山用具入門」(参考文献1-2)に出てくるシャモニーというモデルがこれではないかと推察できるがどうであろうか。 |
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シモンのモデルGHMとの比較 |
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CHARLET-MOSER No.2
1940年代から50年代に作られた物であろうと思われる。同じシャモニのシモンにも同様にNo.2というモデルがあり、ここからもシモンとシャルレには関係があったことが窺える。ヘッド長は28.0pでシモンNo.2と同様に短めである。全長は84p、重量は810g。シュピッツェは円柱を十字に絞り込んだシャルレ独特の物になっている。
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CHARLET-MOSER No.3[東京都在住、N氏所蔵]
これも1940年代から50年代に作られた物であろうと思われる。ヘッド長はNo.2の28.0pよりもさらに短い24.2pである。女性用(あるいは子供用)サイズであろう。
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↑No.2 ↓No.3 |
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ノーマル2(Normal No.2)
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1964(昭和39)年の雑誌広告にノーマルというモデル名で紹介されている物である。ヘッド長28.8p、全長74.5p、重量は770gと軽量にできている。ブレードはフラットと言っても良いほどの極浅い湾曲が掛かっている。ピック先端はスーパー・コンタやモンブランに比べて細い。先端下部には極めて浅い4段の刻みが入っている。石突きのシュピッツェは円錐型であって四方からの削り込みが行われていない形状である。 | |
スペシャル2(Special No.2) [神奈川県大磯町、佐々木直氏所蔵] 上掲のノーマル2と同時代(1960年代)に作られたモデルであり、形状が極似している。モデル名のスペシャルはヘッドの材質が特殊鋼(special steel)であることを表していると考えられる。炭素鋼であろうと思われるノーマルに比べてヘッドの厚みが薄く作られている。またヘッド長も小振り(27.0p)である。このため全長80pながら重量は690gであり、全長75p、重量770gのノーマル2に比べてさらに軽量にできている。同じ特殊鋼製のシモンのシャモア2と比べるとヘッド長が殆ど同じである。 |
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↑ノーマル2 ↓スペシャル2 ↑シモン・シャモア2 ↓スペシャル2 |
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スーパー(Super) [神奈川県横浜市、山本健一郎氏所蔵] フランス人登山家エドアール・フレンド(Edouard Frendo)は、1955(昭和30)年のフランス隊によるマカルー(Makalu、8463m)初登頂を機に同年日本を訪れた。その際彼のビジネス(フランス製登山用具の拡販)の宣伝として当時の最新登山用具を何点か携えてきた。この時彼が持ってきたシャルレ・スーパーが世界で初めての穴開きピッケルである。彼はこれを3本か5本程度日本に持ち込み、それを銀座の登山用具店好日山荘が買い取って販売した。下の写真はその中の1本である。 ヘッド長は29.0cm、全長66.5cm、重量は670gと当時としては極めて軽量にできている。カラビナホールの径は15mmであり、ピック側に5mmほどオフセットしている。またブレード付け根上部は半月状に切り込まれている。これはザイルを絡めるためのものとのこと。雪面にピックを打ち込んでグリップビレイをする時に使わせようと考えたのであろうか・・・。振った時にぶれるのを避ける目的でシャフト断面は殆ど長方形と言える形状である。 |
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スーパー・コンタ2(Super Conta 2)
ピッケルには確保の支点としての用途がある。ヘッドに開けられた穴はその時にここにカラビナを掛けてザイルを通すためのものである。スーパー・コンタは先行したスーパーをさらに発展させたモデルである。下の写真の物はヘッド長29.5cmのNo.2である。
スーパー(Super)はフランス語も英語と同じ綴りであるので「超」という意味であり、ピッケルに限らず戦後の多くの品物に付けられたネーミングである。一方コンタ(Conta)というのはシャモニの山岳ガイドアンドレ・コンタミヌ(André Contamine、1919-1985)の愛称である。 このモデルはその後長く作られ、モデルチェンジによってピックが急カーブになり、メタルシャフトのモデルも登場した。 |
André Contamine |
スーパー・コンタ1(Super Conta 1) No.2に対してヘッド長の長いモデルで31.0cmの長さがある。 |
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No.2とのヘッド長の比較(下がNo.1) |
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モンブラン(中期型)(MONT-BLANC)
スーパー・コンタと同じシルエットのヘッドにカラビナ・ホール以外にブレードにも穴を開け、さらにピックに三日月形のスリットをあけた画期的なモデルであった。ブレードの穴には他のピッケルのシュピッツェを差し込み、またピックのスリットには他のピッケルのブレードを差し込むことによって複数のピッケルを連結して臨時のハシゴが作れるのが特徴であった。実際にはそのように使われるチャンスは少なかったがそのアイデアの斬新さと「ガイド用ピッケル」という触れ込みが受けて人気が高かった。掲載の物はヘッド長29.5p、全長75p、重量740g、1963(昭和38)年頃製造の物。
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モンブラン(初期型)(MONT-BLANC early model) [兵庫県神戸市、佐藤純司氏所蔵]
このピッケルは、上掲のモンブランに対していくつかの相違点がある。形状変化の推移からこちらのモデルの方が古く、モンブラン・モデルの初期型であろうと思われる。
相違点を大きい順に揚げると次のようになる。@シュピッツェがシャルレ独特の円形ではなくて一般的な角形である。Aそれに伴ってブレードに空けられた穴も小判型である。Bピックのスリットの幅が細い。Cピック先端下部をそぎ落としてある。Dそのためここに打ち難かったのであろうかMADE IN FRANCEの刻印がスリット左下に打ってある。Eさらにピック先端下部のギザギザやブレード上面の仕上げ形状の違い等が揚げられる。 これについて次のような推理をしてみた。即ち、ブレードに空けた穴に他のピッケルのシュピッツェを差し込んで梯子にしようとした時に円形のシュピッツェでは回転してしまうとか収まりが悪いとかの理由でこのモデルに限って一般的な角形のシュピッツェを採用したのではないだろうか。また、パーティの全員がシャルレのピッケルを持っている訳ではないので最初のモデルとしては一般的な角形に合わせたと考えることもできる。そしてこのモデル自身も角形の石突きを採用したのではないだろうか。 角形の石突き(シュピッツェとハーネス)については自分では作らず、シモンから供給してもらったと考えられる。シモンの当時のピッケルと比べて見ると良く似ていることが分かるし、4代目シモン(2代目クロディウス・シモンの孫)であるナタリー・シモンも「かつて一時期シャルレに部品を供給していたということを聞いている」と語ったそうである。 ブレードの穴はその後すぐに円形のシュピッツェも挿入できる角丸兼用の鍵穴形に変化し、それに伴ってモンブラン・モデル自身のシュピッツェもシャルレ独特の円形の物になったと考えられる。したがってこの初期型は作られた数が少なかったのではないかと推察できる。 |
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左が初期型 |
シモン製と思われる石突き ↓初期型(スリットの幅、ピックのそぎ落とし等の相違が見える) |
モンブラン(後期型)(MONT-BLANC latter model) [神奈川県大磯町、佐々木直氏所蔵]
モンブランは当初スーパー・コンタと同じシルエットのモデルであったがモデル・チェンジによってスーパー・コンタとは違う、より先鋭的な形状に変化した。
1973(昭和48)年12月号の山岳雑誌「山と渓谷」(参考文献6-2)には当時販売されていたピッケルの写真がいくつか掲載されているがここには下の写真と同じ物が出ている。これから判断してモデル・チェンジは1970年代初めに行われたと考えられる。 ヘッド長は27.6p(全長74.5p、重量710g)と小振りになり、ピック先端が幅広になった。さらにピックは氷雪への食い込みを良くするために両側面を削ぎ落とされ、下側だけでなく上側にも刻みが入れられた。またブレード付け根の上側にあった半月形の切り込みはU字形に変化している。この切り込みはスクリュー式のアイス・ハーケンをねじ込む時に使うためのものであるらしい。 銘にも変化があった。それまでスリット上側に打たれていた洒落た筆記体のCharlet-Moser及びSHAMONIXの銘に代わってモデルNo.2に打っていたCHARLET-MOSER、MADE IN FRANCEの刻印が使われている。これは、それまでスリット右側に打っていたMADE IN FRANCEの刻印がピック側面の削ぎ落としの影響で打てなくなったための措置と思われる。 このモデルは、シャルレの他のモデルが全てメタル・シャフトになった後もウッド・シャフトのまま1980年代まで生産された。 |
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↑中期型、↓後期型 |