エバニュー(EVERNEW、東京、1923〜)


エバニュー創業者岩井新蔵[1939(昭和14)年発行の業界史から]  1923(大正12)年、おもちゃ問屋増田屋から独立した岩井新蔵は、金属製運動用具製造卸の店、増新商店を創業した。「増新」というのは「新しい増田屋」という意味であった。増新商会は戦後1950(昭和25)年に株式会社増新として会社組織となった。
 エバニューというブランド名は増新商店時代から存在していた。「増新」を元にエバー・ニュー(Ever-new、いつも新しい)というブランド名を考え出した。そして1965(昭和40)年に社名を株式会社エバニューに変更し、現在に至っている。
 エバニューはホープ、トップと並んで登山・スキー用品業界では金属3社と呼ばれた。登山者の間ではクッカー(独・コッフェル)や食器が有名であるし、オーストリア製ストーブ「ホエーブス」(PHOEBUS)の販売代理店であったことも良く知られている。またアメリカのスキー「K2」やオーストリアのスキー金具「チロリア」の販売も行っていた。さらにK2の子会社だった「ジャンスポーツ」(JAN SPORT)のザックの販売も行っていた。
 現在は伝統のクッカーや食器をはじめ、ドイツ製「タトンカ」(TATONKA)のザックやアメリカ製「ヨーレカ」(EUREKA)のテントなど登山用具全般にわたって製造・輸入・販売をしている。
 
 エバニューのピッケルは戦後の1960年代に起こった登山ブームに合わせて色々な種類の物が製造・販売された。製品は東京近郊の鍛冶屋に依頼して作らせたものと思われる。当時は1ドルが360円の固定制だったのでフランスやスイスからの輸入品は高嶺の花だった。それらに比べて安く手に入る国産品のピッケルは登山層の底辺を拡大するのに大いに貢献した。しかし1971(昭和46)年、いわゆるニクソン・ショックによって円・ドル換算が変動相場制に移行すると徐々に円高となり、輸入品と国産品との値段の差が小さくなった。そうなると国産メーカーの品よりも有名なフランスやイタリアのピッケルの方が売れ行きが良くなり、エバニューとしては商売として成り立たなくなってきた。こうして1980年頃にはエバニューのピッケルは店頭から姿を消してしまった。


1号 [神奈川県川崎市、宮坂吉雄氏所蔵]
 戦後のベントを雛形にして製作したと思われるピッケルで1950〜60年代(昭和30年代)の物である。当時はモデル名など特になかったようでカタログには「1号」と出ている。カタログによると材質は炭素鋼、フィンガーは「特殊溶接」となっている。ヘッド長29.5cm、全長80cm、重量970gである。銘は当時のベントと同じ二重楕円にEVERNEW, MADE IN TOKYOと打たれている。










特1号 [静岡県函南町、大川博之氏所蔵]
 これも戦後のベントを雛形にしたピッケルで1950〜60年代(昭和30年代)の物である。カタログによると材質はニッケルクロム鋼でオール火打製(溶接ではないということか?)となっている。ヘッド長28.5cm、全長84cm、重量900gである。二重楕円の銘の下にSPECIAL HAND MADEと追記してある。










パイオニア(Pioneer) [神奈川県川崎市、宮坂吉雄氏所蔵]
 1962(昭和37)年頃のカタログには「1号」及び「特1号」と並んでパイオニアというモデル名が掲載されている。と言うことはエバニューがピッケルに初めてモデル名を付けたのがこのパイオニアであると考えられる。
 パイオニアは初期の頃から穴空きモデルもあったが名前は同じでも初期のパイオニアとその後の物とではヘッド形状がかなり異なっているようだ。写真の物はヘッド長29.3cmで材質はクロム・モリブデン鋼第3種(SCM No.3)。1968(昭和43)年製造である。ピック先端下部が特徴的な形状をしている。
 なお何故かパイオニアのスペリングが間違っている(正pioneer、誤pionner)。












アタック(Attack) [神奈川県川崎市、宮坂吉雄氏所蔵]
 炭素鋼を使った普及型ピッケル。ヘッド長は29.0cm。エバニューの1964(昭和39)年のカタログにはこのモデルが掲載されている。形状はグリベルに良く似ている。













モデル・RCC(Model RCC)
 RCCとはRock Climbing Club(ロック・クライミング・クラブ)の略で、1924(大正13)年に藤木九三を中心とした神戸周辺のクライマーで結成された同人組織であった。RCCは1932(昭和7)年に解散してしまったが、戦後1958(昭和33)年、奥山章ら東京近辺の先鋭的クライマーを中心として新たに第2次RCCが結成された。
 RCCUには登山用具開発のプロジェクトも設けられた。中心となったのは芝浦工大山岳部OBの大江幸雄で、このモデルRCCピッケルも大江が設計を担当した。
 ピック側面の肉厚を薄くし、断面を逆T字形にした形状で、輸入品の物まねではない斬新なアイデアを盛り込んだピッケルとして人気があった。
 初期モデルは1958(昭和33)年に発売された。その後1960(昭和35)年に生産がエバニューに移管された。材質はニッケル・クロム鋼第2種(SNC No.2)を使用した。写真のピッケルは1970(昭和45)年製造、ヘッド長は28.0cm。エバニューではこのモデルを1973(昭和48)年頃まで生産した。













グレッチャー(Gletscer) [神奈川県川崎市、宮坂吉雄氏寄贈]
 新田次郎著「栄光の岩壁」のモデルである芳野満彦がエバニューの顧問をしていた頃に設計したモデルでエバニューを代表するピッケルである。ヘッド長は28.5cm。Gletscherとは氷河という意味のドイツ語であり、字体は芳野の筆による。












ローツェ(Lhotse) [鹿児島県屋久町、榊原浩平氏所蔵]
 これはグレッチャーをアレンジして作られたピッケルであると思われる。グレッチャーに対してこちらの方が骨太な印象を与えている。ヘッドにはグレッチャー譲りのカラビナ・ホールから続く削ぎ落としがあり、ピック先端は上下に刻みが入っている。またピックに対してブレードが大きく、ヘッド全体に肉厚も厚い。フィンガは15pと長く、ピンは3点留めである。
 写真の物は1966(昭和41)年製造の物であり、ヘッド長27.6p、全長80p、重量940gと重い。
 なおローツェとは標高8516m、エベレストの南に位置する世界第四の高峰あり、初登頂は1956年、スイス隊によってなされている。














アルパインレディ(ALPINE LADY)
 その名の通り女性が使うことを前提として作られたピッケルである。このためヘッド長は27.5pと比較的小振りにできている(全長76p、重量820g)。
 エバニューの1965年版カタログではこのモデルが新発売となっている。本ピッケルの刻印も65と打ってあるのでこの年から作られたものと考えられる。








ニューRCC(New RCC) [鹿児島県屋久町、榊原浩平氏所蔵]
 モデル名はRCCを引き継いでいるがミックス・クライミングを意識した前モデルに対してこのピッケルはアイス・クライミング用に作られている。ピックは急カーブを描き、ピック上辺にも刻みが入っている。振りやすさを考慮してヘッド長は25.8pと極めて小振りにできている(全長70p、重量720g)。
 石突きのハーネスはエバニュー独特の物ではなく、一般的な形状になっている。ピック下面には「AA 2」と刻印されている。
 1975(昭和50)年刊の「世界の登山用具」(参考文献6-3)にこのピッケルが掲載されているので1973〜1975年にこのモデルができたと考えられる。