エルク(JÖRG, JOERG)
 初代(the 1st.);Fritz Jörg
 2代(the 2nd.);A. Jörg

 エルクはベルナー・オーバーラント地方ツバイルッチーネン(Zweilütschinen)で作られた。ツバイルッシーネンはインターラーケンから南東へ約8qの所にある町である。ここから東進すればルッシェンタールを経由して約10qでグリンデルワルトであり、南下すれば約5qでラウターブルンネンに至る。
 ピッケル鍛冶としての歴史は古く、銘のあるピッケル鍛冶としては一番の先輩格にあたる。初代の名はフリッツ(Fritz Jörg)、2代目の名前は不明であるがイニシャルはAである。
 JörgとJoergに関してであるが、古いドイツ語ではö(o-umlaut、オーウムラウト、オの口をしてエと発音する)をoeと書いたらしい。したがってJörgとJoergは同じであり、Jはヨの発音であるのでほとんど発声されず、イエルク→エルクと読むらしい。
 日本には1920年代(大正10年代)と、早い時期に輸入され、山内や門田の手本となった。ピッケル作りを止めたのかどうか、戦後は輸入されていないと思われる。


 
大町山岳博物館発行の「大町山岳博物館総合案内」(参考文献7-2)には、1910(明治43)年に加賀正太郎がヨーロッパアルプスから持ち帰ったエルクのピッケルが掲載されている(下の写真)。また同書にはウォルター・ウェストンが愛用したのもエルクであったと記されている。


ツバイルッシーネンにあるエルクの工場兼住居。1階が鍛冶工場になっていたようであるが現在は工場としては使われていない。[2002年6月、スイス在住T氏撮影]



正面の外壁には、Fritz 1891 Jörg と書かれていて1891年にこの建物が建てられたことを表している。つまり1891年にはエルクがここで鍛冶屋を営んでいたことが分かる。




初代作1 [東京都練馬区、田村朋之氏所蔵]
 極めて古い形式のピッケルであり、1910〜1920年頃の作ではないかと思われる。ヘッド長29.0p、全長は105pと長く、重量は1320gもある。シャフトは円形に近く、フィンガに打たれているピンは銅製である。石突きのハーネスは丸パイプではなく、平板を円形に丸めて銅で「ろう付け」してある。











初代作
 これも古い形式のピッケルであり、1920年頃の作ではないかと思われる。ヘッド長29.5p、全長102.5p、重量1080g。ヘッドのボリュームに比べてシャフトが細くて少し頼りない感じがする。これもフィンガのピンは銅製であり、ハーネスは平板を円形に丸めて銅で「ろう付け」してある。残念なことにこのピッケルは、使用中にブレード中間あたりに無理な力を掛けたようで、ブレードが上方に少し反っている。
 初代エルクの銘にはF.JÖRGとFRITZ JOERGの2種類の物があったようだが、どう使い分けていたのかは不明。













2代目作1 [日本山岳会所蔵]
 2代目エルク作の極めて貴重な一本。1930年頃(日本では昭和の初め頃)の物ではないだろうか。ヘッドは分厚く頭抜きで長さ30.3cm、全長72cm、フィンガーは142mmで2点留めである。明らかに後にシャフトと石突きを交換してある。ピック下には15段の刻みがあるがこれが元々入っていたかは不明である。














2代目作2 [東京都練馬区、和田好弘氏所蔵]
 1940年代に作られた物と考えられる。頭抜きでヘッド長28cm、全長89cm。フィンガーは140mmで2点留めでピンは銅製である。ピックは極めて細身でピック下に9段の刻みがある。
 この個体はブレードの曲がりがかなり大きいので一見製作ミスのように思えるがベントにも同じような形の物がある。おそらくこの頃一時期このような形状が流行したのではないかと考えられる。















2代目作
 1940年頃の2代目作。ヘッド長29.0p。西岡一雄は「登山の小史と用具の変遷」(参考文献1-1)の中で「女性的な感じが強い」と述べている。確かにそう見えなくもない。これは同時代の他のピッケルに比べてケラ首(頂部からシャフトまでの長さ)が短く作られていることが要因ではないかと思われる。