美津濃(MIZUNO & Co.)

 美津濃(現ミズノ株式会社)は1906(明治39)年に水野利八、利三の兄弟が大阪で創業した洋品雑貨の店、水野商会が前身である。早くからスポーツ用品に注目していた水野兄弟は1910(明治43)年から野球用品の販売を開始した。社名はこの年に水野兄弟の出身地岐阜県大垣市の旧国名美濃に因んで美津濃商会とした。
 若い会社美津濃は社長の利八を中心にして、野球に留まらず数々のスポーツ用品を開発していった。1927(昭和2)年にはヒッコリーを材料としたスキーを発売しているし、1933(昭和8)年にはゴルフクラブの開発にも着手している。美津濃のピッケルもそのような過程の中から生み出されていったものと考えられる。
 当時(1920年代後半から30年代、昭和初期)の日本におけるピッケル作りは言わば黎明期であり、仙台の山内も札幌の門田もスイス製ピッケルを手本として製作を開始していた。美津濃も同様に当時名声の高かったスイスのシェンクをモデルにしてピッケルを作った。実際には大阪近郊の鍛冶屋に鍛えさせたのであろうが美津濃の驚くべき点は銘までシェンクそっくりに真似て作ったことである。
 ピッケルは太平洋戦争直前の1940(昭和15)年に禁制品となったのでシェンクモデルもその頃までには生産をやめていたと考えられる。美津濃は終戦後も主力商品ではないものの登山用品を作り続けた。昭和40年代の美津濃の宣伝広告写真にはテント、ザック、登山靴などと並んでウッドシャフトのピッケルが掲載されている。
 美津濃は1987(昭和62)年に社名をミズノ株式会社と改め、現在に至っている。販売している製品は伝統の野球やゴルフ用品が主流であるが現在もBergのブランド名でザックやレインウェアなどの登山用品を販売している。



シェンクモデル(前期型) [埼玉県吉見町、大澤靖一氏所蔵]
 これは全体の形状から前期型のシェンクモデルと考えられ、1920年代後半(昭和初期)製作のものと思われる。ヘッド長は29.7pで頭抜き、全長100p、重量は1030gである。フィンガ長は175oと長いが2点留。ケラ首は48oと長くブレードはフラットな扇形で下刃。ブレード下辺は軽く面取りされている。ハーネスは後方からプラスネジで留められている。シャフトは太くて円形に近く、下に向かってテーパが掛かっている。頭抜きであることやハーネスのネジ留めなど本物のシェンクをかなり忠実にコピーしていたと考えられる。
 銘も本物のシェンクとまったく同じレモン形の二重楕円になっていて、上段にCHR.SCHENK、下段にGRINDELWALDと打ってあり、その中央にMODELと打ってある。その右側にはMizuno & Co.(美津濃商会)とあり、その上にMADE OF SWEDISH STEEL(スウェーデン鋼使用)と打ってある。
 西岡一雄著「登山の小史と用具の変遷(参考文献1-1)」に「大阪美津濃商店がシェンク・モデルというのを出した。さして悪作でもなかったけれども、そのモデルという洋文字のみが薄れて、シェンクのみが辛うじてのこっていたところから、これを本物のシェンクと誤認されて時にそれを知らない人のあいだに一振り5千円という高価で売買されていたという馬鹿らしい笑話が戦後大阪に二度もあった」と出ている。いかにも本当にあったような話ではあるが美津濃のマークまで消えていたとは考えにくくちょっと信じがたい話である。

















シェンクモデル(後期型) [東京都西東京市、小澤観一氏所蔵]
 これも美津濃が出したシェンクモデルである。ヘッド長30.0p、全長87.5p、重量950g。フィンガ長145oで3点留。ブレードはフラットの扇形で両刃。ブレード下辺はまったく面取りされていない。ハーネスは前方からマイナスネジで留められている。シャフトは扁平で、前掲のシェンクモデルに比べてかなり握りやすくなっている。またヘッドが頭抜きではないことからこちらの方が後期のモデルではないかと思われる。
 銘はレモン形ではあるが2重ではなくなり、上段がCHR.SCHENK.MODELとなり、中段にMIZUNO&COと打つようになった。それ以外には背面も含めて何も打たれていない。