森谷(MORIYA) | |
初代 森谷一郎、もりや・いちろう、1903(明治36)年〜1980(昭和55)年
2代目 森谷昭一、もりや・しょういち、1933(昭和8)年〜
1st.; MORIYA Ichiro (1903-1980) 2nd.; MORIYA Shouichi (1933-) |
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森谷は太平洋戦争後、秋田市に登場したピッケル鍛冶である。初代森谷一郎は山形県山形市に6人兄弟の末っ子として生まれた。家は裕福であったが1911(明治44)年の山形大火で全財産が灰になってしまい、9才で鍛冶屋の小僧に出された。働きながら小学校を出たが27才の時、親方と衝突して山形を飛び出してしまう。森谷は兄を頼って秋田市に移り住み、会社勤めを経た後1941(昭和16)年、満州に送り出す技術工を育てる秋田日満技術工養成所の技術指導員になった。そしてそこで終戦を迎えた。戦後は秋田市鍛冶町川反に森谷製作所の看板を掲げて独立し、主に鉈や鎌等の刃物を作っていた。
1952(昭和27)年、一人の青年が秋田市内の鍛冶屋を訪ね歩いていた。この青年は秋田鉱山専門学校(現秋田大学)の学生であり秋田アルパインクラブ(Akita
Alpine Club)の会員でもあった吉川信市だった。吉川は良質のピッケルを安く供給してもらおうと市内の鍛冶屋に依頼して歩いた。初めの2軒にはあっさり断られたが3軒目に訪ねた森谷製作所で良い返事を得た。森谷一郎は自身も若い頃から登山を行っていたので「ピッケル製作には以前から興味があった」と試作を了承した。森谷は吉川から提示された山内、門田、プリマ(フプアウフ)の現物やシェンクの写真、フリッチ(アンデンマッテン)の採寸図等を参考にして試作を重ねた。鋼材は炭素鋼の他にニッケル・クロム鋼でも打った。納得の行く物が作れたので同年、市販を開始した。ニッケル・クロム鋼の最初の製品は吉川の元に行った。
森谷のピッケルは1956(昭和31)年のマナスル遠征を始め、1960(昭和35)年の南極越冬隊、その他の遠征に使われ、森谷一郎は1963(昭和38)年秋田市から文化功労者の表彰を受けた。森谷ピッケルは主に秋田県の岳人を中心に愛用され、首都圏では北千住の登山用具店、駒草山荘が販売を行った。 吉川から依頼を受けた森谷一郎がピッケル製作を開始したのが一郎49才の時だった。その時すでに長男の昭一も一緒に働いていて親子でピッケル作りを行っていた。一郎は70才過ぎにピッケル作りから引退し、その後は昭一が後を引き継いだ。 銘はピック表面に楕円でakita moriyaと打ち、親子で銘を打ち分けてはいなかった。しかしピック刻印以外にフィンガ部にタガネで「森谷一郎造」と併記したピッケルが存在する。そこから「森谷昭一造」と打たれた物も存在すると考えられる。 銘の下段にはヘッド材質を表す記号と、通しでの製造番号が刻印されている。つまりニッケル・クロム鋼の物にはNを打ち、炭素鋼の物にはCを打った。製造番号は1番から打っていったが、縁起を担いで下1桁が4になる番号は打たなかったようだ。また客の好みの番号を打つことも可能であった。この場合、次のピッケルにはその番号の次の数字が打たれた。最終的には4500番台まで番号が打たれたようだ。そしてこのような経緯からピッケルに打たれた番号と総製作本数とは一致しない。 森谷ピッケルは約30年に渡って2代で作り続けられた。その総本数は3000本を出ないと思われる。なお昭一は鍛冶屋をたたみ、現在では日本画家として秋田では著名な存在となっている。(文中敬称略) |
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ピッケル製作中の森谷一郎氏 |
森谷のカタログ これによると9寸(27p)から尺2寸(36p)の物まで作っていたようだ |
森谷親子(1952年頃撮影) |
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森谷ピッケル生みの親、吉川信市氏の若い頃。手にしているのは森谷N1番 | マナスルで使われた森谷ピッケル |
特殊鋼穴なし前期モデル(森谷第1号)[埼玉県越谷市、吉川信市氏所蔵・写真提供]
記念すべき森谷の第1号ピッケル。ヘッド長28p。フィンガには「森谷一郎造」と刻み銘も入っている。
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炭素鋼穴なし前期モデル[神奈川県大磯町、佐々木直氏所蔵]
森谷ピッケル初期の頃の形状を留めた美しい形のピッケル。材質は炭素鋼でヘッド長28.2p。ブレードはイチョウ形でフラット。
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特殊鋼穴なし後期モデル[東京都練馬区、田村朋之氏所蔵]
ヘッド長30.3pの穴なしモデルで後期の作と思われる。前傾角度の浅いピックとほぼフラット(僅かに湾曲している)なブレードが特徴的な作品。手抜きをせずブレード裏側まできれいに仕上げてある。銘にはakita
moriya N3582と打たれている。
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穴あき後期モデル
ヘッド長29.5p(全長76p)の穴あきモデルで、打たれている番号(4509)から最後期の作と思われる。穴なしモデルに比べてブレードの湾曲がはっきりしている。
穴なし、穴あき共に後期の森谷ピッケルは、軽量化のためにヘッドのシャフト延長部分がなるべく薄くなるようにしてある。このためヘッドとシャフトとの接合部から頂稜部に向けて急激に角度が絞り込まれているのが特徴である。また石突きはハーネスよりもシュピッツェの方がやや長めに作られている。 残念ながらこのピッケルは銘が薄くなってしまっているため材質を表すNまたはCの文字が読み取れない。あるいはこの頃は特殊鋼だけであったかも知れず、NもCも打たなかったのかも知れない。 |
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