プリマ(PRIMA) | |||||||||||
太平洋戦争前に日本にプリマという銘のスイス製ピッケルが輸入された。プリマのピッケルはフプアウフ(HUPFAUF)のカタログに載っていてフプアウフの一種のブランド名と判断できる。フプアウフのもう一つのブランドであるライオンマークとでどのように打ち分けていたかをカタログに明記していないので判断が付かない。しかしシモンのイーグルとシャモアや、門田のBERGHEILとSAPPORO
KADOTAのように鋼材の種類で打ち分けていたと考えるのが自然ではなかろうか。 またプリマの刻印の他にA.HUPFAUFの刻印を打った物もあるがこれは初代フプアウフが存命していた1916年までに作られた物ではないだろうか。初代フプアウフ死去後、A.HUPFAUFの刻印は打たずに単にライオンマークまたはプリマのマークのみが打たれたと考えられる。そして日本には1920年代終わり頃輸入され始め、プリマのマークしか打っていなかったのでフプアウフとは別物として扱われたのではないだろうか。 このようにプリマはフプアウフ製であることは明らかである。しかし当サイトではいずれ整理するものの、当面プリマは独立しておく。 なおPRIMAとは英語のprime(プライム)と同じで主席、最良、極上、あるいは「素晴らしい」といった意味がある。PRIMAの刻印の下には数字が打たれていて製造番号を表していると思われる。 |
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右の写真はカナダ、バンフにあるWhyte博物館に展示されているピッケルであるがこの写真からもプリマがフプアウフ製であることが分かる。[写真提供;兵庫県、仲田淳氏] |
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村井米子(1901〜1986)が使用したプリマ 出典;別冊太陽103「人はなぜ山に登るのか−日本山岳人物誌−」 |
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Jモデル | |||||||||||
フプアウフのカタログにJモデルで載っている物である。ピック下面にJ5と打たれていてヘッド長は実寸で27.8cmであり、ほぼカタログ値と同じである。全長は94cmある。 ピック背面にはMADE IN SWITZERLANDと打ってあるので輸出用に作られた物と考えられる。1920〜30年代に作られた物であろう。 |
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Aモデル [鹿児島県屋久町、榊原浩平氏所蔵] | |||||||||||
極めて古いヘッド形状のピッケルであり、1900年代から1920年代の頃の物と考えられる。ヘッド長28.5p、全長87.5p、重量は重く1230gある。石突きはハーネスとシュピッツェが、ろう付けされているワンピース型である。 花を冠したプリマ(PRIMAの刻印の左には、ドイツ・フランス国境に近い町バーゼル(Basel)のスポーツ用品店L.KOST社(Leonhard Kost & Co,)の刻印が打たれている。つまりこのピッケルはL.KOST社を経由して販売された物である。 ヘッドの下側には、A及び3 1/2(3.5)と刻印されている。Aはモデルを、続く数字はヘッド長を表すコードである(詳細はフプアウフの項を参照)。 |
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Cモデル [千葉県八日市場市、中台格之氏所蔵] | |||||||||||
このプリマはヘッド長24.7pの極めて小振りのピッケルである。シャフトも細いので女性用に作られた物と考えられる(全長77.5p、重量800g)。 PRIMAの銘は花飾りがなくなり、番号も4桁になっている。また石突きはツーピース型であり、フィンガの付け根の形状がフプアウフに比べて丸みを帯びていないことなどからこのピッケルはフプアウフではない他の鍛冶屋による作であろうと思われる。製造されたのは1930〜40年代と考えられる。 PRIMAの左側に打たれたMARKE Tödi(トーディ印の意)のTödiとは、スイス中東部にある標高3614mの山の名前である。 |
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