当麻(TOMA、東京、1950〜1961
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東京都東村山市の鍛冶屋森田直治は小林伊三郎の依頼でアイスマンシップ(Icemanship)銘のピッケルを作り始めた。その後工場の整備も進んでピッケル鍛造が軌道に乗り始めた。そして1軒のスポーツ用品店の販売だけでは心もとないということで自分のブランドを持つことにした。1950・51(昭和25・26)年頃のことであった。銘は叔父の当麻製作所から取り、ローマ字でTOKYO TOMAとした。その後森田は当麻製作所を引き継ぎ、森田製作所と改めたが銘はそのままTOMAを使い続けた。当麻のピッケルは使用している鋼材の成分分析表を付けて販売をしたことから登山界から高い評価を受けた。当麻銘のピッケルは1961(昭和36)年頃まで作られた。 | ||||||||||||
TOKYO TOMA [鹿児島県屋久町、榊原浩平氏所蔵] ヘッド長28.0cm、全長80cm、重量820g。フィンガーは150mmで3点留め。ケラ首が長く、シャフトは平たい。ハーネスは両側からネジ止め。ヘッドの形状はベントや門田が手本になっていると考えられる。 |
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