ウィリッシュ(WILLISCH)
初代(the 1st.);Josef Willisch(1872〜1943)
2代(the 2nd.);Max Willisch(1910〜1945)
       Roman Willisch(1913〜1977)
3代(the 3rd.);Konstanz Willisch(1946〜)
         Gottfried Willisch(1949〜)

 モンブランと並んでアルプスを代表する山、マッターホルン。そのスイス側の登山基地はこれも有名なツェルマット(Zermatt)である。ウィリッシュのピッケルはそのツェルマットの北東約4qの町タッシュ(Täsch)で作られている。
 ツェルマットは自動車乗り入れ禁止なのでツェルマットに入るにはここタッシュで電車に乗り換えなくてはならない。タッシュはツェルマット入り口の町として有名である。

 初代ウィリッシュはヨーゼフ(Josef)で、1900年頃からピッケル作りを始めた。彼のピッケルは直線と曲線が上手くミックスしたピックが特徴であった。
 初代の銘はJos.Willisch, Bergführer, Taesch-Zermattと刻んだ。ベルクフューラー(Bergführer)は山案内人のことである。これはヨーゼフ自身が山岳ガイドでもあったことを表している。またTaeschはTäschと同じである。
 ヨーゼフは生涯独身であったために子供がなく、ピッケル作りは彼の弟で一緒に鍛冶屋を営んでいたコンスタンツ(Konstanz Willisch, 1880〜1957)の息子達が引き継いだ。
 コンスタンツの息子はマックス(Max)とローマン(Roman)だった。彼らは1936年頃からピッケル作りを始めた。銘はGebr. Willischと打った。Gebr.はGebrüder(兄弟)の略である。
 2代目兄弟の兄マックスは1945に死去したがその後しばらくの間はそのままGebr.の銘を使っていたようだ。
 1955年頃、銘はローマンだけの物になった。この頃からヘッド形状は少しずつ変化し始めた。つまりブレードは湾曲したカップ状になり、ピック下には刻みが入るようになった。
 1967年頃から3代目のコンスタンツ(Konstanz、祖父と同じ名前)もピッケル作りに参加するようになった。やがて弟のゴットフリート(Gottfried)もそれに加わるようになったので銘もそれに合わせてR.WILLISCH&Söhneと打つようになった。SöhneはSohn(息子の意)の複数形である。
 2代目ローマンが死去した後1980年頃、銘は単にWILLISCHとなった。
 現在も3代目兄弟が鍛造手作りによるピッケル作りを続けている。年間の製作本数は100〜120本程度であり、本業の鉄骨加工業の仕事量が減る冬の間にまとめて作っている。特注も受け付けていて極端に短いシャフトやヘッド長の多少の長短に応じている。
 彼らのピッケル作りは全て目分量による方法で行われている。即ち、物差しや定規の類は一切使われていない。ヘッドの形状は勿論、ヘッド長やフィンガーの長さまで全て長年の勘で決められる。これは2代目ローマンから引き継がれたとのことであるので初代ヨーゼフの頃から全て目分量で作っていたと考えられる。
 3代目ゴットフリートの息子のロージェー(Roger, 1975〜)が現在ピッケル作りの修行中であり、ウィリッシュのピッケル作りは需要のある限り続けられる模様である。

 ウィリッシュの工場は古くはタッシュの村の中にあり、先き手と打ち手によるまったくの手作りによる製法であった。しかし1943年に工場を建て直し、その時に電動ハンマーを導入して打ち手の要らない製法に改めた(この電動ハンマーは現在も使われている)。
 また1982年にはタッシュ郊外に現在の工場を建てた。ピッケル作りはその工場の一角で行われている。
 なお3代目兄弟にはガブリエル(Gabriel, 1943〜)という兄がいて、ツェルマットで山岳ガイドをしている。
   Josef Willisch


   Roman Willisch
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   Konstanz Willisch


   Gottfried Willisch


現在のウィリッシュの工場。看板に書かれているMETALLBAUのBAUは建築や加工という意味。
(2005年4月撮影)


ウィリッシュの火床


現行モデルの各パーツを工程順に並べたもの

ウィリッシュの現行品カタログ。ヘッド長25pの女性用モデル(Nr.103、104)やアイスハンマーも載っている。




初代作1
 初代ヨーゼフの作になるピッケルである。1910年代の作であろうか。ヘッド長は大振りな32.5cm、全長95cmである。ピックの厚みが最厚部で11mmもあって総重量は1200gと重い。フィンガーは162mmで3点留めであり、フィンガー先端は直角にできている。フィンガーに打たれた3本のピンは精度良く打たれているとは言えず、初代ウィリッシュ作が「荒削り」とか「豪快」という言い方で評されていたのが理解できる仕上がりである。

















初代作2 [東京都在住N氏所蔵]
 初代ヨーゼフの作になるピッケルである。1920年頃の作であろうか。ヘッド長は比較的小振りな27.0cm、全長91cm、重量850gである。ブレードはフラットで幅の狭い肩張扇型にできている。頭部はこの個体は頭抜きではないようだ。ハーネスは板材を銅でつないで楕円にしている。











2代目作(戦前)
 初代から2代目兄弟に代替わりして直ぐの頃、1930年代後半の作であろう。ヘッド長31.8pの大振りであり、頭抜き構造になっている。全長は86p。ハーネスは寸胴であり、フィンガとハーネスに打たれたピンは銅製である。
 銘はGeb. Willisch, Eisp.-Schmiede, TÄSCH-ZERMATTと打たれている。Eisp.-SchmiedeのEisp.はEispickel(アイスピッケル)の略であり、Schmiedeは鍛冶の意味である。






頭抜き構造(ヘッド頂上が楕円形に抜けている)







2代目作(戦後) [東京都在住N氏所蔵]
 第2次大戦後の2代目作で、1950年代に作られた物であろう。ヘッド長26.8pと短く、ピックも細身にできている。シャフトも細く仕上がっていて全長80pながら重量は680gと軽い。したがって女性用に作られた物ではないだろうか。ブレードは僅かに湾曲している。
 銘の中段のSchweizはスイスのこと(ドイツ語表記)であり、下段のTäschとZermattの間にあるb/はbei(英語のby)の略である。つまり「ツェルマット近郊のタッシュ」という意味である。また戦後はWILLISCHの銘とは別にSwiss madeと斜めに刻印するようになった。












2代目作(戦後) [岡山県赤盤市、奥田朗氏旧蔵]
 1954(昭和29)年頃購入した物。ヘッド長が30cm(全長85cm、重量880g)と上掲の物よりも長く、これは男性用である。ピック下側には男性用を表すH(Herren)が刻印されている(続く85は全長を表している)。














2代目作(戦後)
 2代目の戦後の作である。1960年代頃製作と思われる。ヘッド長30.0p。ブレードがカップ型になった。銘もGebr.からRomanになった。なお/bはGebr.の銘ではb/であったがこの銘ではスラッシュが先になっている。










2代目3代目合作、穴なしタイプ [静岡県三島市、西島光教氏所蔵]
 2代目と3代目が一緒に作っていた頃の物で1970年代後半の作だと思われる。前モデルに比べてヘッド長が29.0pと少し小振りになり、ピック先端も幅が広くなった。銘はR.WILLISCH&Söhneと打ってある。ヘッド表面は現行モデルと同じ光沢仕上げになっている。






2代目3代目合作、穴明きタイプ [秋田県能代市、中田直和氏旧蔵]
 R.WILLISCH&Söhne銘の穴明きタイプ。ヘッド長29.5cm、全長75cm、重量830g。













3代目作(穴なし)
 現在も製造されている3代目の作である。ヘッド長は27.0pとさらに小振りになっている。ただしフィンガ長は15.5pと長く、シャフトとの連結ピンは3本打たれている。材質はカタログには工具鋼(Werkzeugstahal)と記されている。特殊鋼であるらしい。








3代目作(穴明き)
 同じく3代目作の穴明きタイプ。ヘッド長27p。フィンガ長や銘など穴なし型に同じ。








戦後ウィリッシュのヘッド形状変化


3代のウィリッシュによって作られた7本のピッケル